葬儀と清め塩:その意義と作法

葬儀と清め塩:その意義と作法

葬式を知りたい

清め塩って、葬式の後にするのは、故人の霊を追い払うためですか?

お葬式専門家

いいえ、故人の霊を追い払うためではありません。清め塩は、神道の考え方で、人の死による『気枯れ』を回復させるために行います。仏教では死を穢れとは考えないので、本来、仏式の葬儀では清め塩は必要ありません。

葬式を知りたい

では、仏式の葬式で清め塩をするのは、どういう意味合いなのでしょうか?

お葬式専門家

神道の慣習が仏教にも広まったために行われるようになったと考えられます。参列者の気力を回復させるという意味で使われています。近年では清め塩を使わない葬儀も増えています。

清め塩とは。

お葬式やお法事の後で使う「清めの塩」について説明します。清めの塩は、もともと神道の儀式で使われていたもので、けがれを払うための塩です。相撲取りが土俵に入る時に塩をまくのも同じ目的です。神道では人の死をけがれと考えるため、お通夜やお葬式に参列した後に、清めの塩で身を清めることがあります。神道では、けがれは「気枯れ」とも言い、この気枯れが溜まって生気がなくなると人は死ぬと伝えられてきました。ですから、清めの塩を使うことで、弱った気を元に戻すという意味があるのです。ちなみに、飲食店の入り口などによく見られる「盛り塩」は、縁起をかついだり、魔除けの意味があり、けがれを払う清めの塩とは別のものです。このような習慣が仏教にも広まり、お葬式やお通夜の席で清めの塩を渡されたり、家に帰ってから玄関先でまくようになりました。しかし、仏教にはもともと「死=けがれ」という考え方はありません。ですから、本来仏教式の葬儀では清めの塩は必要ないと言われています。特に、死後の世界での平等を説く浄土真宗では、清めの塩を使うことはありません。このような考えから、最近は浄土真宗だけでなく、他の宗派でも清めの塩を使わないお葬式が増えているようです。仏教式の葬儀では、本来清めの塩は必要ありません。また、亡くなった方の霊を追い払うためではなく、参列者の弱った気を元に戻し、元気づけるためのものです。使い方としては、お葬式などでもらった清めの塩は、家に帰って玄関に入る前に使います。家族などがいる場合は、かけてもらっても構いませんし、一人なら自分でかけても大丈夫です。清めの塩をかける順番は、胸、背中、最後に足元です。

清め塩の由来

清め塩の由来

古来より、日本では塩には特別な力が宿ると信じられてきました。その力は、食べ物を腐敗から守る力だけでなく、目に見えない邪気や穢れを祓い清める力があるとされてきました。この信仰が形となったものが、神道の儀式で用いられる清め塩です。清め塩は、単なる塩ではなく、神聖な力を持つものとして大切に扱われています。

清め塩は、様々な場面で使われますが、特に葬儀や通夜といった死に関わる儀式においては欠かせないものとなっています。神道では、人の死は穢れ、つまり「気枯れ」の状態だと考えられています。生きている者は生命力に満ち溢れていますが、亡くなった方はその力が失われ、枯れ果てた状態です。この「気枯れ」は、周囲にも伝染すると考えられており、葬儀に参列した人は、自らも「気枯れ」の影響を受けることを恐れました。そこで、「気枯れ」を祓い、生気を蘇らせるために用いられるのが清め塩なのです。

葬儀場を出た後に、玄関先で少量の清め塩を体に振りかけることで、葬儀場から持ち帰ってしまったかもしれない「気枯れ」を祓い清め、自らの生命力を守るとされています。これは、単なる迷信ではなく、古くから受け継がれてきた知恵であり、死者への敬意と、自らの生命を大切にするという日本人の精神性を表すものです。力士が土俵に入る際に塩をまくのも、土俵を清めるという意味合いと同時に、自らの身を清め、邪気を祓うという意味が込められています。清め塩は、目に見えないものへの畏敬の念と、健やかに生きていきたいと願う人々の思いが込められた、日本の大切な文化の一つと言えるでしょう。

場面 目的 意味合い
神道の儀式 清める 神聖な力を持つ
葬儀・通夜
  • 気枯れを祓う
  • 生気を蘇らせる
  • 死者への敬意
  • 自らの生命を大切にする
葬儀場を出た後
  • 持ち帰った気枯れを祓い清める
  • 自らの生命力を守る
力士が土俵に入る際
  • 土俵を清める
  • 身を清め、邪気を祓う

清め塩と盛り塩の違い

清め塩と盛り塩の違い

飲食店の入り口などでよく見かける小さな円錐形の白い塩の山、あれを「盛り塩」といいます。 この盛り塩、なんとなく「清め塩」と同じものと考えている方もいるかもしれませんが、実は両者は目的が違います。よく混同されますが、別物なのです。清め塩は、神道の考え方で、主に葬儀や法事など、死に関わる穢れを祓うために使われます。 亡くなった方と関わった後に、その穢れを家の中に持ち込まないように、玄関先などで体に塩を振りかける、というのが典型的な使い方です。つまり、清め塩の目的は、死による穢れを落とすことなのです。

一方、盛り塩は、どちらかというと幸運を招き入れ、悪いものを寄せ付けないようにする、魔除けの意味合いが強いものです。飲食店の場合、お客さんが快適に食事を楽しめるように、店内の悪い気を祓い、良い気を呼び込むことを願って盛り塩を行います。また、家の玄関先に盛り塩をする場合も、家の中に悪いものが入ってくるのを防ぎ、家族の健康と幸せを願うという意味が込められています。

このように、清め塩と盛り塩は、用途も意味合いも全く異なるのです。清め塩は、穢れを祓うための宗教的な意味合いが強いのに対し、盛り塩は、商売繁盛や厄除けなど、もっと日常的で世俗的な意味合いを持っているといえます。盛り塩のあの小さな円錐形は、神棚などにも供えられる、神聖な米の山の形を模したものだとも言われています。形にも意味が込められているのですね。盛り塩を置くことで、お店や家庭に良い気が満ち溢れ、繁栄していくことを願う、日本人の古くからの知恵がそこに表れていると言えるでしょう。

項目 目的 用途 意味合い
清め塩 死による穢れを落とす 葬儀や法事など、死に関わる穢れを祓う 宗教的
盛り塩 幸運を招き入れ、悪いものを寄せ付けない(魔除け) 飲食店での集客、家の玄関先での厄除けなど 日常的・世俗的

仏教における清め塩

仏教における清め塩

神道における習慣である清め塩は、いつの間にか仏教の葬儀でも見られるようになりました。葬儀場を出る際、参列者に小袋入りの塩が配られたり、自宅へ戻った後に玄関先で塩をまく光景は、今では珍しくありません。しかし、仏教には、神道のように死を穢れ(けがれ)と見なす考え方は、本来ありません。

仏教では、人は亡くなると迷いの多い世界から解き放たれ、悟りの境地へと向かう、つまり死は穢れではなく、むしろ次のステージへの移行と考えられています。ですから、仏教式の葬儀において清め塩は、必ずしも必要ではないのです。特に、浄土真宗では故人の死を穢れと捉える考えを否定しており、清め塩の習慣はありません。すべての衆生は仏になる可能性があり、死後の世界においてはすべての人が平等であるという教えから、死を区別したり、特別な儀式を行う必要はないという立場をとっています。

一方で、他の宗派では、葬儀後の清め塩を、故人の冥福を祈るための気持ちの切り替えの儀式として捉えている場合もあります。塩をまく行為そのものに、穢れを払うという意味合いはなく、葬儀という厳粛な場から日常へと気持ちを切り替える、一つの区切りとして受け継がれていると言えるでしょう。また、地域によっては、葬儀に参列することで不幸を持ち帰らないようにとの配慮から、清め塩を配っている場合もあります。このように、仏教における清め塩の習慣は、宗派や地域によって異なり、本来の教義とは異なる意味を持つ場合もあることを理解しておくことが大切です。

項目 内容
清め塩の現状 仏教の葬儀でも見られるようになった。
仏教における死生観 死は穢れではなく、次のステージへの移行。
浄土真宗の立場 死を穢れと捉えることを否定し、清め塩の習慣はない。死を区別したり、特別な儀式を行う必要はない。
他の宗派の解釈 故人の冥福を祈るための気持ちの切り替えの儀式として捉える場合もある。
地域差 不幸を持ち帰らないようにとの配慮から清め塩を配る地域もある。
まとめ 仏教における清め塩の習慣は、宗派や地域によって異なり、本来の教義とは異なる意味を持つ場合もある。

清め塩を使う意味

清め塩を使う意味

葬儀や法事などでよく見かける清め塩。白い粒を体に振りかける仕草は、どこか神秘的で厳かな雰囲気を感じさせます。なんとなく「お清め」という意味合いは理解していても、その真意までは知らない方も多いのではないでしょうか。特に仏式の葬儀においては、清め塩は故人の霊を祓ったり、浄化したりするためのものではない、ということをまず理解しておく必要があります。

仏教では、人は亡くなるとすぐに仏になると考えられています。ですから、すでに仏となった故人に、改めて清めの儀式を行う必要はないのです。では、なぜ葬儀で清め塩を使うのでしょうか。それは、葬儀に参列した人たちの心を慰め、元気づけるためなのです。死は悲しい出来事であり、参列者は深い悲しみや精神的な疲労を感じているかもしれません。肉親を亡くした悲しみは計り知れませんし、葬儀への参列は心身ともに負担がかかるものです。そのような状況の中で、清め塩は参列者の心に寄り添い、少しでも元気を取り戻してほしい、という故人や遺族の思いやりが込められているのです。

清め塩を体に振りかける行為は、心の中の穢れを洗い流し、リフレッシュするという意味合いを持っています。「気枯れ」と呼ばれる、心身のエネルギーが弱まっている状態から回復し、前向きな気持ちを取り戻す助けとなるのです。また、塩には古来より強い浄化作用があると信じられてきました。目には見えないものですが、塩には周囲の邪気を払う力があるとされ、清め塩を使うことで、参列者は心身ともに清められたような気持ちになることができます。もちろん科学的な根拠はありませんが、古くから伝わる風習には、それなりの意味と理由があるのです。

清め塩は、あくまでも参列者自身の心のケアのためのもの。故人のためではなく、生きている私たちのために存在しているということを理解し、感謝の気持ちを持って使いましょう。

対象 目的 効果
葬儀に参列した人
  • 参列者の心を慰める
  • 参列者を元気づける
  • 心身のエネルギーが弱まっている状態(気枯れ)からの回復を助ける
  • 心の中の穢れを洗い流し、リフレッシュ
  • 心身ともに清められたような気持ちになる
  • 前向きな気持ちを取り戻す
故人 故人の霊を祓ったり、浄化したりするためではない

清め塩の作法

清め塩の作法

葬儀や法事など、弔事の場から家に戻る際に、清めの塩を用いる習慣があります。これは、持ち帰ってしまうかもしれない穢れを落とすための古くからの習わしです。

清めの塩は、玄関に入る前に使います。同居する家族がいる場合は、家族に頼んで自分の背中に塩を振りかけてもらうのが良いでしょう。一人暮らしの場合は、もちろん自分で行っても構いません。塩のかけ方には決まった作法があり、胸、背中、足元の順に、上から下へと振りかけていきます。これは、身体に付着した穢れを、上から下へと流し落とすという意味合いが込められています。

塩の量は少量で十分です。ひとつまみ程度の塩を手に取り、軽く振りかけるようにしましょう。一度にたくさんの塩を使う必要はありません。また、地面に落とすことを意識しすぎると、もったいない気持ちになってしまうかもしれません。塩は、身体に軽く触れる程度で問題ないと考えられています。

残った清めの塩は、玄関の外にまく、もしくは半紙などに包んで処分します。決して、家の中に持ち込んではいけません。また、使用済みの塩を、庭や植木鉢などにまくと、土壌に悪影響を与える可能性があるので避けましょう。

清めの塩は、目に見えない穢れを払い、気持ちを切り替えるための大切な作法です。作法に込められた意味を理解し、丁寧に行うことで、清々しい気持ちで家に入ることができるでしょう。

項目 内容
目的 葬儀や法事など、弔事の場から持ち帰るかもしれない穢れを落とす
タイミング 玄関に入る前
塩のかけ方 胸、背中、足元の順に、上から下へと軽く振りかける
塩の量 ひとつまみ程度
塩の扱い 身体に軽く触れる程度で良い
残った塩の処理 玄関の外にまく、もしくは半紙などに包んで処分
注意点 使用済みの塩を家の中、庭、植木鉢などにまかない

現代における清め塩

現代における清め塩

古くから日本では、死は穢れ(けがれ)と結びつけられてきました。そのため、葬儀に参列した後に、自宅に入る前に清めの塩を体に振りかけることで、穢れを持ち込まないようにする風習が根付いていました。この清めの塩は、葬儀にまつわる様々な場面で使われてきました。例えば、葬儀場を出る際、火葬場から帰る際、そして自宅へ戻る際などに、塩を体に振りかけることで、死の穢れから自身を清めるという行為が行われてきました。

しかし、近年では、清めの塩を使わない葬儀も増えてきています。その背景には、仏教本来の教えに基づく考え方の変化があります。浄土真宗をはじめとする一部の宗派では、死を穢れとは捉えていません。そのため、これらの宗派では、そもそも清めの塩を用意しない葬儀が一般的です。また、近年は葬儀の簡素化が進み、形式ばった儀式を省略する傾向も強まっています。そのため、清めの塩を使うという慣習も薄れつつあります。

さらに、現代社会においては、衛生観念の変化も影響しています。昔は、衛生状態が良くなかったため、死を穢れと結びつける考え方が生まれました。しかし、現代では衛生状態が格段に向上し、死を穢れと捉える考え方は薄れてきています。そのため、清めの塩の必要性も薄らいできていると言えるでしょう。

時代の流れとともに、葬儀の形式も変化し、清めの塩の役割も変化しつつあります。清めの塩を使う、使わないに関わらず、大切なのは故人を偲び、冥福を祈る気持ちです。それぞれの宗教や宗派の考え方を尊重し、故人の霊を弔うことが重要です。

時代の変化 清めの塩の捉え方 理由
古くから 死は穢れ、清めの塩は必須 死は穢れと結びつけられていたため
近年 清めの塩を使わない葬儀も増加
  • 仏教本来の教えに基づく考え方の変化(浄土真宗など)
  • 葬儀の簡素化
  • 衛生観念の変化
現代 清めの塩の必要性低下 死を穢れと捉える考え方が薄れているため