両墓制

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墓石

参り墓:故人を偲ぶもう一つの場所

参り墓とは、遺骨を実際に埋葬しているお墓とは別に、お参りしやすい場所に設けられたお墓のことです。詣り墓と呼ばれることもあります。かつて、故人を土に埋葬する土葬が主流だった時代、お墓は人々の暮らす場所から遠く離れた場所に作られることが多くありました。そのため、故人に思いを馳せ、お墓参りをするためには、長い時間と労力をかけて、遠くまで足を運ばなければなりませんでした。特に、農作業などで日々忙しく暮らす人々にとって、頻繁に遠く離れたお墓へお参りすることは大変な負担でした。そこで、故人を偲び、より身近に感じたいという思いから、生活圏に近い場所に、お参りのためのお墓を建てる風習が生まれました。これが参り墓です。遠くにある本来のお墓を「埋め墓」と呼ぶのに対し、参り墓は、文字通り「お参りをするためのお墓」として、人々の暮らしの中に溶け込んでいました。埋め墓には、年に一度のお盆やお彼岸など、特別な機会に訪れ、日頃のお参りには、近くの参り墓を利用していたのです。お墓参りは、故人の霊を慰め、供養するだけでなく、子孫が故人の在りし日を偲び、教えを心に刻む大切な機会でもありました。参り墓は、そうした機会をより身近なものにしてくれる存在だったのです。現代では、火葬が一般化し、お墓の多くは火葬後の遺骨を納める形となっています。土葬の時代のように、埋め墓と参り墓を分けて持つことは少なくなりましたが、故人を大切に思う気持ち、そして、いつでも故人に想いを馳せたいという願いは、今も昔も変わりません。現代のお墓は、かつての参り墓のように、故人と私たちを繋ぐ大切な場所として、その役割を担っていると言えるでしょう。
墓地

両墓制:二つの墓の役割

両墓制とは、読んで字の如く二つの墓を設けるお葬式の方法です。一つは亡くなった方の体をおさめるための墓、もう一つは故人を偲び、お参りをするための墓です。この二つの墓はそれぞれ役割が異なり、体をおさめるための墓は、主に人里離れた場所に設けられ、お参りをするための墓は、人里近くに設けられるのが一般的でした。なぜこのような複雑なお葬式の方法が生まれたのでしょうか。その背景には、時代と共に変化した日本人の死に対する考え方が深く関わっています。古くは、亡くなった方の体は穢れたものと考えられていました。そのため、体をおさめるための墓は、集落から離れた場所に作られました。これは、死による穢れが共同体に及ぶのを防ぐためでした。一方、故人を偲び、お参りするための墓は、人々が故人と繋がり続けられるように、生活圏に近い場所に設けられました。両墓制は、主に古墳時代後期から平安時代にかけて見られました。この時代、仏教が伝来し、次第に日本人の死生観に影響を与えていきます。仏教では、死は穢れではなく、輪廻転生の一つの過程と考えられています。そのため、死に対する恐怖や穢れの意識は薄れていき、故人を偲び、供養することが重要視されるようになりました。時代が進むにつれ、二つの墓を管理するのが負担となることや、仏教の影響による死生観の変化などから、両墓制は次第に衰退していきます。そして、現在のような一つの墓でお参りと埋葬を行う形が主流となりました。両墓制は、過去の日本人の死に対する考え方や、社会の仕組みを理解する上で重要な文化の一つと言えるでしょう。現代では、両墓制はほとんど見られなくなりましたが、その名残は各地に残っています。例えば、お墓とは別に、故人の遺品や位牌を祀る祠や、故人の霊を慰めるための石塔などが、地域によっては今も大切にされています。これらは、かつての両墓制が、形を変えながらも現代に受け継がれている証と言えるでしょう。